明智光秀が築いた【京都】丹波亀山城は神秘に包まれていた!

こんにちは、スバルです。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が再開し、喜んでいる人も多いのではないでしょうか。
関西にも馴染みが深い明智光秀ですが、京都の亀岡市にもお城を築いていたんですよ。
山の中に静かに佇む丹波亀山城跡は、とても神秘的。
これからの季節は、紅葉や大イチョウなども楽しめます。
丹波亀山城
丹波亀山城から本能寺へ出陣

織田信長から丹波攻略の命を受けた明智光秀は、天正5 年(1577)頃に丹波亀山城を築城し、その拠点としました。
まわりには城下町が築かれ、町が発達していきました。

昔、亀岡市は亀山でしたが、三重県の亀山と紛らわしいため明治時代に亀岡に改称したそうです。
丹波亀山城の築城から5年後、光秀はここ丹波亀山城から京都を目指し、本能寺で織田信長を襲いました。
そう、本能寺の変です。


どんな思いで、ここから出陣したんだろう・・・
その後、光秀は山崎の合戦で豊臣秀吉軍に敗れ、伏見区の小栗栖(おぐるす)で命を落としたと言われています。
山崎の合戦後

山崎の合戦後には、豊臣秀吉によって丹波亀山城は城内や城下町が整備され、江戸時代には天下普請(てんかぶしん)により近世城郭として大修築が行われました。

イラストのような、五層五階の天守、三重の堀を持つ城下町が築かれたんだよ。
天下普請とは
江戸幕府が全国の諸大名に命令し行わせた土木工事のこと。 築城だけでなく、道路整備や河川工事などもあったんだって。


石には、天下普請の証として諸大名の刻印が刻まれています。

55カ所ほどあるそうですが、これを探すのも楽しい。
でも5カ所ほどしか見つけられなかった〜!
廃城令

明治初頭の廃城令によって城は解体され、多くの遺構や石垣が切り売りされてしまいました。
天守石垣の復元

所有者が転々と変わり荒れ果てた城跡は、大正時代に宗教法人「大本(おほもと)」によって買われました。
その後長い時間をかけ、信徒によって天守石垣が復元されました。
下から約1/3は、光秀築城当時の穴太(あのう)積みが奇跡的に残っていたんだって。

御城印

御城印もあります♪
明智光秀の家紋の、水色桔梗の印が入っています。
当時白黒が主流だった家紋ですが、明智家は水色でとても珍しかったそうです。

桔梗の「木」へんを取ると、「更に吉(さらによし)」となり、縁起がいいんだよ♪
丹波亀山城跡の見学

丹波亀山城跡へは、宗教法人「大本」みろく会館総合受付で見学の申込みをしましょう。

新型コロナウイルスの影響で見学が一時中止に。
10月1日から再開されることになりましたよ♪
料金・時間等、詳しくは、公式HPで確認してください。
→宗教法人 大本HP


私が訪れたのは深緑が美しい初夏でしたが、これからの秋は紅葉が美しい♪
光秀が手植えしたと伝わる大イチョウもあって、フォトジェニックな光景が見られます。
平山城で坂も緩やかなので、こどもでも石垣まで楽にたどり着けるにゃ♪

丹波亀山城跡へ

電車の場合は、JR嵯峨野線「亀岡駅」から南へ徒歩10分ほどです。
亀岡駅から丹波亀山城跡を目指して歩くと、堀跡に面した南郷公園に明智光秀像が見えます。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」にあわせて令和元年(2019)に建立されたんだ。
丹波亀山城を背にして建っているにゃ♪


毎年5月3日には亀岡光秀まつりが行われ、今日の亀岡の基礎を築いた功績をしのび、光秀の勇壮な武者行列が城下町を練り歩きます。
※2020年は新型コロナウイルスの影響で中止になりました。

「麒麟がくる 京都亀岡大河ドラマ館」も開催されています。
JR亀岡駅北口すぐ、京都スタジアム内特設会場です。
開催日時等、詳しくは公式HPで確認してください。
→麒麟がくる 京都亀岡大河ドラマ館

なぜ織田信長を討ったのか、など今も謎が多く神秘に包まれた明智光秀がどう描かれるか、これからのドラマの展開も楽しみですね♪
丹波亀山城跡へ、聖地巡りはいかがでしょうか。
明智光秀が築いたお城福知山城に関しては、こちらの記事を見てください👇
御城印あります!【京都】明智光秀ゆかりの福知山城の魅力

丹波亀山城跡
京都府亀岡市荒塚町内丸1
一般駐車場あり
HP 宗教法人 大本
HP ぶらり亀岡・明智光秀
亀岡には、他にもいいところがいっぱいあるにゃ♪
参考にしてね👇
>>【京都】そば畑広がる亀岡で、絶品そばをいただきます!
>>【鉱物採集】亀岡・桂川で碧玉探し
>>【京都の絶景】彼岸花が揺れる♪日本の秋の原風景

2020.9.19 スバル